英吉利とわたくし。

【2006年10月6日(木)】

 この日の夜、出張先の広島市でひと仕事終えたあと、市内のとある料理屋で、仕事関係者と飲んだ時、なぜか、英吉利の話になる。

 その仕事関係者は、かつて大英帝国として世界中で植民地化政策を進めたこの国が、いまやEUを離脱してグローバル化から身を遠ざけ、その身を小さく小さく折りたたもうとしているスタンスを、「実験的」で、かつ、「先進的」なニュアンスとして捉えて語っていて、その視点がボクを大いに引きつけたのだった。

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 確かに、日本はいうまでもなく、先進国といわれる国が抱える資本主義の弊害を乗り越える新しいスタンダードが、そこにありそうな気がするのである。

 左肩下がりになることを怖れず、身の丈で生きる。
 むしろ、身を小さく折りたたむことに可能性を見出す。

 新しい考え方のようでもあるが、日本人は、パックストクガワーナ(江戸時代)にこれを実現していたのではないか。
ちょっと囓っただけのわずかな知識だけを基にした、ほとんどカンなんだけど。

 未来を照らす鏡は、過去にあるのではないか。
 シュリンクしていく自分を怖れないことって、なかなか出来ないことではあるよね。

 海外渡航にほとんど興味はない身ではあるのだが、英吉利、特に倫敦には行ってみたいと、ちょっと思ったってわけなのだ。

 いずれにしても、ボクは、資本主義が終わった後のワールドは、いまよりもっとよくなっていて欲しいと切に願う男なのである。南~無~。
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by misaochan3x7 | 2016-10-24 21:00 | Comments(0)


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