あがた有為とわたくし。

 先日拾った雑誌の束の中にあったエロ本2冊。 
 その1冊の中に、あがた有為の漫画が掲載されていたのに驚く。

 この漫画家は、ボクが上京した1977年当時、「コミックセルフ」などのエロ本では、すでに常連作家なのだった。

 セルフ出版 コミックセルフ1977年10月号
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 ちなみに、この雑誌の版元であるセルフ出版は、のちに白夜書房となり、その白夜は不祥事により、いまはガイドワークスと社歴を変じているのであるが。

 ウィキってみたら、作家名は、「あがた うい」なのだった。
 あ、そうなんだね。
 そして、1949年(唱和24年生まれ)の68歳であることがわかる。

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 驚くべきは、ボクがこの作家を知った1977年から40年を経てたいまでも、いささかもその画力が衰えていないということなのでありますわ。
 それを、先日拾ったエロ本の中で確認して、かなり驚いたというわけなのである。

 あのですね、机の前で毎日ペンを握り続け漫画を描き続けるということは、実は途轍もない重労働であり、作画生活を40年も続けていると、線はヘロヘロになり、見るに堪えない醜態をさらすのが漫画家の宿命なんですよ。
 さいとう・たかを然り、ちばてつや然り、安孫子 素雄(藤子不二雄A)然り、松本零士然り。

 んがしかし、この男だけは、その例から完全に逸脱し、エロ漫画家としての矜持すら感じさせるそのシャープな描線には、己(おの)が身をいささかも恥じることのない刀鍛冶にも通じる高い職人魂を感じるわけなのです。
 
 それにしても、この人の描く怜悧な女性の顔つきの、サイボーグ的な造形美は、他の追随を許しませんね。髪型が違うだけで、女の顔は全部同じという高い記号性が、この男の長い作家生命を支えているのである。
 女の顔は描き分けない。そして、読み捨てられるだけのエロ漫画を描くことにいささかの迷いもないブレのなさ。
 エロ漫画にイノベーション(革新)は必要ないのではなく、エロ漫画ゆえに読み捨てられる宿命に臆することなく、飽かず描き続けるこのブレのなさこそがイノベーションの核なのである。
 ロックしてロールし続けるからこそ、ロックン・ロールなのだ。
 手塚治虫でさえ到達出来なかった極北!!
 脱帽です。
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 ところで、ケン月影という劇画家でありエロ劇画家がいますが、最近の彼の描画は、線がヘロついて、肉体の衰えを感じるわけです。
 そういう意味でも、68歳の漫画家が描く描線の “現役感” には驚嘆するのです。

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by misaochan3x7 | 2017-07-01 00:47 | まんが道(みち) | Comments(0)


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