東京、行かなくなったまち

 TOKIOに上京して来たのは、1977年の大学受験の時で、その時は誕生日前だったから18歳だ。
 で、何とかその年に大学に入った時には、ボクは19歳になっていたのさ。
 恥ずかしながら、チェリーボーイである。

 大学はお茶の水にあったから、その頃は、お茶の水、神保町、水道橋あたりをうろうろしていたのだった。

e0358504_20340233.jpg
 はじめて一人暮らしをしたアパートが、千葉の稲毛にあったので、電車は総武線(三鷹~千葉)を使って、大学に通っていたのである。

 2年生の時から、大学が八王子に引っ越したので、アパートも転居を余儀なくされ、次に引っ越した先は、三鷹市大沢というところ。戦時中、高射砲が置かれていたので、高台のまちだったんだ。

 そのあと、在学中は、明大前、仙川と引っ越し、通学に利用していた電車は京王線。プライベートには、井の頭線を使っていたものだ。
 その頃よく行ったのは、下北沢や渋谷である。

 当時、田舎から出て来たのボクらのような人間の情報源は、雑誌に載ったタウンマップが中心だった。
 そして、その情報とは、映画、音楽、演劇、喫茶店、漫画など、サブカルチャーに関するであり、まちそのものの体内から、マグマのように、流血するように噴き出していたものである。

e0358504_23365681.jpg

 あれから40年。
 いつの間にか、お茶の水、神保町、水道橋にも行かなくなったし、下北沢や渋谷にも行かなくなってしまった自分に気づくのだった。

 それぞれのまちが体臭のように持っていた情報源としてのカルチャー・パワーは、いまはもうそのかけらもない。
 情報はネットからひとすくいすればすぐに得られる時代になり、自らが足を使ってそのまちに出向き、現場から得られた一次情報を口コミで分かち合い、その情報が雑誌などのメディアに伝播していくような熱源は、まちからは完全に失われてしまったのである。

 それにしても、最近は、地元である荻窪にも行くことがない。

 ボクは、一体どのまちで何をしているのだ!!


[PR]
by misaochan3x7 | 2017-08-08 19:42 | 自分遺産 | Comments(0)


<< 超人ロック生誕50周年展とわたくし。 週刊プロレス8月16日号の表紙... >>