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1984年当時、世間はは完全週休2日制ではなく、土曜日は隔週で休みだったの巻。

2019年8月27日(火)に61歳で永眠したボクの奥さんの遺品の中にあった1984年の手帳日記(ビジネスカレンダー)。
土曜日に赤い丸が記(しる)されているのは、当時は完全週休2日制ではなく、土曜日は隔週で休みだったという記録なのである。
このカレンダーを見て思い出したのだ。

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26歳だった彼女の独身最後の年の手帳日記なのである。
というのは、職場結婚だったボクらは、翌年の1985年の7月に結婚式を挙げ、さらに翌年の1986年1月25日(土)に一人息子の誕生となる。
ボクは、彼の誕生の日を、「土曜日休みの給料日の日の晴天に生まれた」という記憶の仕方をしているので、この頃も土曜日は隔週で休みだっわけなのだ。
ところで、世間はいつから完全週休2日制になったのか。まるで記憶にない。

そういえば、この年は、この曲が流行ったな。
この数年後、世間はバブルを迎えるのである。



# by misaochan3x7 | 2021-06-19 23:35 | 奥さんとわたくし | Comments(0)

鰻真(うなしん)とわたくし。(その後)

【2021年6月13日(土)】

いよいよ関東地方も雨季に入りぬ。
もうとっくに入っていたかと思いきや意外であった。
さて、拙宅の近くを走る五日市街道沿いにあった鰻屋の 107.png「鰻真(うなしん)」

取り壊しのあと、いまやすっかり更地となりぬ。
跡地に出来るのは何か?

鰻真(うなしん)とわたくし。(その後)_e0358504_14284803.jpg
2020年11月撮影
鰻真(うなしん)とわたくし。(その後)_e0358504_14332405.jpg


# by misaochan3x7 | 2021-06-19 14:30 | ご近所アーカイブ | Comments(0)

「死ぬ気まんまん」 佐野洋子。そして、ボクの奥さんのこと。

「死ぬことが間近になったら、死んだらお金はかからないということに気がついた。
部屋をぐるりと見わたすと、全部買ったものばかりである。茶碗から箪笥、横に壁が見えたから家も買ったのである。」

「死ぬ気まんまん」 (佐野洋子:著/光文社/2011年初版第1刷) より。

「死ぬ気まんまん」 佐野洋子。そして、ボクの奥さんのこと。_e0358504_10295058.jpg
2010年11月に癌で逝去した佐野洋子氏 (絵本作家、エッセイスト) が2008年から2009年に 「小説宝石」 にかけて書いたエッセイの単行本。
へそまがりで毒気たっぷりな氏らしい痛快で刺激的なタイトルである。
巻末の関川夏央氏の一文も佐野洋子氏の生涯と人となりを知る上で秀逸。本質を漏らすことなくすくい上げる手腕はさすがである。
親族の多くの死を家で看取った経験者である彼女の死は、病院でだったようだ。

没後11年目にしてこの本のこと、いや、そもそも彼女のことをちゃんと知ったのは、やっぱりへそまがりで毒気たっぷりの心理学者、著述家にしてジェンダーの論客である小倉千加子氏の著書の中で佐野洋子氏のことを読んでからのことである。
今年の4月頃のことなのだ。
それまでは、小川洋子(作家)と佐野洋子に区別さえつかなかったのである。

そして、上記の記述だ。

「死ぬことが間近になったら、死んだらお金はかからないということに気がついた。
部屋をぐるりと見わたすと、全部買ったものばかりである。茶碗から箪笥、横に壁が見えたから家も買ったのである。」


2年前の夏、ボクの奥さんが急逝してひとりになった時、まさに家中のボクの身の周りにあった物は、奥さんが買ったものばかりだった。
冷蔵庫、洗濯機、掃除機、食器棚、衣装箪笥、食器類、布団、カーテン、下着、工具類、植木鉢。
おまけに、公共料金の契約も。
いま住んでいるこの家でさえ、住宅ローンの頭金は、彼女の実家に支えてもらったものなのである。
ボクが自分で買ったのは、私服と机と椅子とソファーと本、CDくらいのものだ。
まったくもって、彼女の庇護でここまで生きてきたわが人生であることを思ったのだった。


# by misaochan3x7 | 2021-05-30 10:24 | 奥さんとわたくし | Comments(0)

死者たちとの東京。父親編。

2017年1月、故郷に住んでいた父親が入院先の病院で他界した。享年86歳。
死因は、誤嚥性肺炎ではなかったか。

その父親は、若い頃小説家になりたくて上京したのが、結局、父親の父親、つまりボクにとってはおじいさんに故郷に帰るようにいわれたか、おじいさんに連れ戻されたかで、地元で銀行員になったというのである。
それは、生存中に父親から聞いたことがあるのだが、その時彼がどこに住んでいたかまでは聞くことはなかった。
東京に住んでいた頃、世田谷のボロ市に行ったことがあるとボクに語ったことがあったので、もしかしたら世田谷区内かもしれないが、いまとなってはもうわからない。
1931年生まれの父親がもし18歳で上京したのであれば、1949年(昭和24年)のことだろう。

故郷に帰った父親は、やがてボクの母親と結婚して、1958年3月にボクが誕生し、5年後の6月には妹が生まれることになったのである。

そういえば、後年、父親は勤めていた銀行の行史の編纂に携わるようになり、ボクが中学校か高校の頃、資料調査のために国会図書館に通うために度々上京していたことを思い出す。
東京駅に着くと駅の中にある温泉( 「東京温泉」 っていっていたような)に行くとか聞いたことがあるな。

1985年にボクが結婚し、翌年ひとり息子が生まれた時、父親は母親とふたりで上京したことがある。
生後100日頃が目処であるお食い初めの時だったから、1986年の1月に生まれた息子の誕生から数えるとその年の春頃ではなかったろうか。

そういえば、父親の言葉で覚えているのは、苦しい時か寂しい時は、川に行き流れる水を眺めながら気持ちを落ちつけよ、といったような意味の言葉である。
いつ、どんなタイミングで聞いたのかは思い出せない。

ボクは大学入学のために19歳で上京し、卒業後そのまま東京で就職し、社会人となり結婚したのだが、少なくとも上京後のどこかでだったような気はするのである。
だからというわけでもないが、いまボクが住んでいる杉並の家の近くに流れる善福寺川にはチャリでよく出かけるのだ。
川はいいね。
流れている水を見るのは気分がいいものだ。

ところで、ボクはひとり息子の記憶に残るような言葉を何か残せたのだろうか。
生きているうちに聞いておくことにしよう。


# by misaochan3x7 | 2021-05-23 23:57 | 東京遺産 | Comments(0)

死者たちとの東京。文京区編。

都バスが文京区の白山上にある 「向丘二」(むこうがおかに(ちょうめ))という住所表示を通過するあたりで、乗客であるボクの胸は悲しみで締め付けられるようにひどく切なくなるのである。

なぜなら、この道すじには、「かに谷」というカニ料理屋があり、1985年7月に小石川の小さなマンションの3階で新婚生活を始めた若き日のボクら夫婦が引っ越しを終え、その手伝いをしてくれた職場の共通の友人であるSさん(女性)へのお礼としてこの店で3人で食事をした店なのである。
その後も何かあるとボクらは誰かとここに来て食事をした記憶がある。
若い日のぼくらにとってこの店は、ちょっと背伸びをした 「ハレの場」 の店だったのである。
その思い出の 「かに谷」 も、ボクの奥さんの姿も、すでにこの世にはない。
ボクの奥さんは、2019年の8月末に急逝したのである。享年61歳。

そして、その 「かに谷」 の近くには、豆腐料理の割烹 「五右衛門」 があった。
この店もボクにとっては背伸びして入る店で、独身の頃、この近所に住んでいて、高校時代の友人と彼がつきあっていた女性と3人で入ったことがある。
1983年か1984年の春頃ではなかったろうか。
そして、その店も高校時代の友人の姿も、やっぱりもうこの世にはない。
その彼は、2006年8月半ば病没したのだった。享年48歳。

都バスのルートでいえば、東京駅から荒川土手まで行く路線か、池袋駅前から浅草まで行く路線で遭遇する場所である。


# by misaochan3x7 | 2021-05-23 20:08 | 自分遺産 | Comments(0)