雨の日は家にいて。そして思う、赤塚不二夫、手塚治虫のことなど。

【2017年8月16日(水)】

 お盆休み最終日。

 この日も終日雨で、外出といえば、雨が小やみになったスキに近所のスーパーにチャリで買い物に出かける程度なり。
 結局は、ずっと家にいたのだった。

 ところで、1995年、赤塚不二夫は還暦を迎え、漫画家生活40周年と合わせて祝賀パーティーを開いたのだが、この時、彼は壇上に赤でまとめたチャップリンのコスプレで登場したのである。

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 かくいうボクも、来年、還暦を迎えるに当たり、これを見た当時37歳のボクのことを書いておこうと思うんすよ。
 で、その時ボクは、「げっ、チャップリンかよ。なんてダサいセンスなんだろう」って、かなりの失望感を感じたことを覚えているのである。泣いても笑っても、22年後には自分も必ず60歳を迎える時が来ることはわかっていたのだが、あそこまでズレた感覚で生きていたくはないなとも思ったのだった。

 その頃の赤塚不二夫はといえば、アルコール依存症の悪化などから連載は減り、アシスタントの数もたいしたことなくて、もうほとんど過去の人だったのだが、還暦と漫画家生活40周年を記念して、フジオプロ黄金期のメンバーだった高井研一郎が発起人となり、あだち勉、古谷三敏、土田よしこ、とりいかずよし、北見けんいちなどの黄金期のメンバーに加え、現役アシスタント2名を含めた総勢30名が一堂に会し、当時下落合駅前にあった旅館「山楽ホテル」に3日間缶詰になって50ページのマンガを制作し、それを小学館の「ビッグゴドール1996年1月号」に載せるという特別企画も並行して行われていたのである。

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 「シェー教の崩壊」と題されたこの中編は、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教を元ネタに、宗教団体シェー教の教祖となったイヤミを主人公として、赤塚キャラ総出演の大作を目指した作品である。
 ボクはこの作品が掲載された号を新刊で買い、今も家に保存してはいるのだが、この時、もはや作品には黄金期の生気はなく、そのこともボクを大いに失望させたのだった。

 そして、確かその3年後、ボクはその「山楽ホテル」が消失してしまう前にと、友人たちと一泊したことがある。
 また、このホテル(というか、旅館)の近くには、2階に板前さんを擁した宴会場を持つ銭湯があり、ボクは、そこがフジオプロ御用達だったことを知っていたので、旅館に泊まる前に、ここで宴会を催す酔狂を演出したのだった。
 その銭湯の名前は忘れてしまったな。2階の壁には、いろんなマンガ家の色紙が至る所に貼られていたっけ。

 ところで、漫画家の還暦ネタの続きでいえば、手塚治虫は、1989年(平成元年)2月9日、還暦を迎えるこの年に、誕生日を待たずして59歳で胃がんにより病没してしまったのだが(昭和天皇御崩御の1月7日までが昭和64年で、平成元年は1月8日から始まる)、おっさんシャツをベルトの中に入れ、ベレー帽、背広、ズボン、紳士靴のそのいでたちは、いかにも年寄り臭く、ボクには、実年齢よりも10歳以上老けて見えていたのだった。



 手塚が、同じ関西育ちである2歳年下の野坂昭如ほどダンディーであったならと、つくづくないものねだりに思うのだ。

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 しかし、赤塚が過去の人と化したのとは違い、作品の質を衰えさせることなく、最後まで現役を貫ぬこうとした作家としての業の深さには、脱帽せざるを得ないのである。
 合掌。


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by misaochan3x7 | 2017-08-27 10:23 | まんが道(みち) | Comments(0)


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