カメラマン福田文昭さんのお誘いで、再び江戸川区平井に赴くの巻。

【2017年11月26日(日)】

 福田さん企画のイベント「明るい多喜二」=蠣崎澄子後援会=「ぼた餅とブラームス」に参加す。

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 場所は、JR総武線平井駅徒歩7分。地元出身落語家の故橘家圓蔵宅(ひらい圓蔵亭)の隣りにある171.png「さくらワンダールーム」。目の前は平井公園なのだ。

 それにしても、「明るい多喜二」というタイトルは、
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 不当逮捕され、理不尽にも精神病院に入れて世間から隔離されながら、最後はどうにか帰還することができた経験のある福田さんでなければ考えられないタイトルなのだ。

 権力は、弱者を屈する。

 その権力に屈しないためには、結局、不当に扱われた経験を笑いのめすしかないのである。
 それは、ボクが福田さんから直接話を聞いて学んだ貴重な一次情報である。
 結局、蹂躙された人間のとる態度とは、最後はやせ我慢でも明るくふるまわなければ、当人はやってられないのである。
 すなわち、権力をあざ笑い、やられた不当行為を明るく笑いのめす、その強さに裏打ちされた不屈の精神。

 権力は、“強いものいじめ”が苦手なのだ。
 この実感も、福田さんから教わったことなのだ。
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 今回の講演者である蠣崎さんは、主婦であると同時に、小林多喜二に高い関心を寄せる多喜二のアマチュア研究家。(写真左の女性)
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 1933年(昭和8年)2月、多喜二が29歳の若さで築地署において拷問の結果惨殺されるその2年前、「オルグ」という作品を完成させるため、1931年(昭和6年)の3月中旬から4月はじめにかけて逗留したのが、厚木の奥座敷七沢温泉にある177.png福元館という旅館だそうである。
 蠣崎さんは、この事実を、それから約70年を経た2000年に発見した女性なのだ。
 情熱というか情念というか情動さえあれば、主婦でもここまでやれるという好例である。すげーことですわ!!

 今回の講演の前に、多喜二が好きで、旅館逗留中もよく歌ったという、ブラームスの「日曜日」という歌曲に、作詞家の高野班山が詞を書いた「折ればよかった」という曲が、ゲストの演奏家によって演奏された。
 大正末期から昭和にかけて流行った歌のようなのだ。
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 そして、講演は、以下のレジュメの順に語られたのだった。
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 当日販売された蠣崎さん著の冊子。税込みで500円なり。
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 最後に、参加者で、多喜二が好きで彼の母が彼のためによく作ったというぼた餅を食べて終了。
 この日のイベントタイトルである「ぼた餅とブラームス」は、以上に由来するのである。
 余談だが、この日の演奏者が見つからなければ、ボクにギターを弾いて歌ってもらえないかと福田さんに乞われたのだが、どうにもメロディーがつかみにくく、ひどく違和感を感じて無理だったのである。

【参考スレッド】

 168.png七沢温泉、「蟹工船」小林多喜二ゆかりの宿・福元館
に日帰り温泉に行ってきました。
 168.png小林多喜二と七沢温泉

 177.pngPS.
 小林多喜二の母の物語「母」の興行が好調とのことである。

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 ボクはこの映画を、福田さんと、福田さんの呼びかけで集まった何人かの方と一緒に、3月12日(日)に新宿KSシネマという映画館で観たのだが、監督は、山田火砂子という80歳を超えるおばあちゃんなのだ!!
 もう一度ちゃんと観たい映画である。
 多喜二は、いわゆるプロレタリア作家になるまでは、小樽で北海道拓殖銀行に勤める高給取りのサラリーマン=現代青年だったことは、意外な発見だったのだ。



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by misaochan3x7 | 2017-12-03 17:17 | 自分遺産 | Comments(0)


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